SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が今日ほど盛んではなかった2013年。山梨県大月市にて、合併する近隣3チームの頭文字をとって誕生したのがSNSベースボールクラブです。猿橋の「S」、七保の「N」、そして下和田の「S」。初代監督はこの10年あまりで、全国2度出場の強豪へとチームを昇華しつつ、法人化も実現。その背景には、県外の気さくな名将たちとの親交があったそうです。
(取材・構成=大久保克哉)
そうま・いっぺい●1967年、山梨県生まれ。大月市の学童チーム・花咲で野球を始める。市立東中の軟式野球部、都留高まで投手兼外野手で、高3夏は山梨大会ベスト8。腰を痛めて東海大でのプレーは断念も、3年時から社会人硬式・桂クラブに入って都市対抗予選などを戦った。引退後は高校時代の輿石重弘監督(現・明桜高/秋田)に師事して指導畑へ。地元の学童チーム・下和田で2年間のコーチを経て2013年、近隣の3チーム統合で誕生したSNSベースボールクラブで監督となり、2017年全日本学童初出場でベスト16、21年は2回戦進出。2021年4月にチームを一般社団法人として代表に。選手・保護者に向けたブログを2014年9月から毎日更新中
[山梨/SNS ベースボールクラブ]相馬一平
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板橋 勲
[茨城/上辺見ファイターズ]いたばし・いさお●1965年、埼玉県生まれ。小5のときに地元・北川辺町(現・加須市)で創設された、北川辺スターズ(現・北川辺ウォーターズ)で野球を始め、主に捕手としてプレー。北川辺中の軟式野球では三番・二塁で県大会出場、県立高の硬式野球部では主将も務めた。就職に伴い、隣県の茨城・古河市に転居。長男が入団した上辺見ファイターズでコーチを経て監督となった2000年に、当時6年の次男らと全日本学童大会初出場。2005年秋の新人戦で茨城大会優勝、2023年全国スポーツ少年団交流大会に初出場など、チームを全国区の強豪に。多くの指導者の交流の場ともなっている、年末恒例の上辺見ファイターズ交流大会を2014年から主催して10回を数える
自ら「人間力」の模範に
「試合で打ちたかったら、家で素振りをするよね!?」「1日24時間はみんな同じだけど、その使い方は自分で決められるんだよ!」…。
人格も自我も発達段階にある小学生なら、そういう講釈も素直に聞いてくれることでしょう。ただし、話をする大人の側に行動が伴っていなかったら、説得力に欠けしてしまうと思います。
私が『不撓不屈/野球小僧達の超戦!』と題したチームのブログを開設したのが2014年の秋。それから毎日、発信を続けているのはそういう側面があるからです。もう10年が過ぎたんですね。正直、1日も欠かさずにやり続けるのは、しんどい面もあるにはあります。
でも、1年365日の使い方もまた、自分次第。時間がなければ2行や3行でもいいので、とにかく自分の言葉で自分の想いを毎日発信する。今ではこれが習慣のようになっています。小学生には少し難しい言葉や内容のときもありますが、保護者が読んでくれれば、各家庭で子どもに伝えてくれると思っています。
グラウンド内だけで育成は完結しない。活字のほうが伝わることも多々ある
学童野球は技術と体が一番ではない。メンタルなスポーツだと私は考えています。ですから、野球を通して人間力を上げていくことを指導の主眼としています。
勝敗や上手とヘタは一番最後にくることで、まず大切なのは継続する力。そして失敗しても、次は失敗しないように努力をすること。好きなことなら努力ができるので、野球が自ずと好きになれるような配慮もしています。
一斉に始まる打撃のローテーション練習は待ち時間ゼロ。選手を飽きさせない仕掛けが随所に
なんだか偉そうに言っていますが、監督になって最初の4年間は数々の失敗がありました。采配ミスも度々。「楽しもう!」と選手たちの好きにやらせてきた結果、勝負所の試合では緊張でまったく打てなかったことも…。
今は自主性と強制でバランスをとっています。ボトムアップで行き詰まったときに、的確な答えを出してあげる。それが指導陣の大きな役目だと考えています。
カッコいい恩人
毎年の選手の人数や、保護者の意見や負担の度合いなどに左右されることなく、永続的に安定したチームにできないものか――。2017年に全国大会(全日本学童マクドナルド・トーナメント)に初出場したころから、私はこういう願望を強く抱くようになりました。
2017年と2021年に全日本学童大会出場。記念碑が今日も練習を見守る
どんなに素晴らしい体験をしても、選手はやがて卒団します。チームに残る保護者もほとんどいません。貴重な経験や積み上げたノウハウが引き継がれ、チームの財産となるのは稀で、年度替わりでリセットされてしまうのが通例。これでは、いつまで経っても徒労感と危機感が拭えませんよね。
そういうなかで、「チームの法人化」というヒントときっかけを与えてくれたのが、吉川ウイングスの岡崎さん(真二監督)です。出会ったのは、あるローカル大会。それからは、ウイングス主催の大会にも参加をさせていただくようになりました。
岡崎さんは何ともいえないクールな立ち居で、カッコいい。スキのない野球をされていて、毎年のように優秀なバッテリーが育っている。取るべきところでしっかりと点を取ってくるし、こちらが何点リードしても慌てる感じがない。そして結局、最後までヒヤヒヤさせられるような展開に持ち込まれる。公式戦ではあまり戦いたくないな、というチームをしっかりとつくってきますよね。
2021年、山梨大会を制して2度目の全国出場が決定(提供/SNSベースボールクラブ)
一方でコロナ禍の間に、ウイングスは岡崎さんの主導でNPO法人(非特定営利法人)に。これを知った私は一方的に、しつこく岡崎さんにアプローチをさせていただくようになりました。
「チームを法人化するには、どうしたらいいのですか?」
こういう質問に始まって、具体的な手続きの手順や費用や必要書類のサンプルまで。岡崎さんはどこまでも親身に、また細かなところまでレクチャーをしてくれました。そのおかげで、ウチも2021年4月に法人化(一般社団法人)を実現。岡崎さんの存在とアドバイスがなければ、こんなにもスムーズに事は運ばなかったはすです。まさしく、恩人です。
統合により、2016年3月31日をもって閉校した大月市立富浜中。校舎もそのまま残る
ウチは今、統廃合で使われなくなった中学校の校庭を管理しながら、ほぼ独占的に使用しています。ナイター照明もあり、平日の火曜と木曜は自由参加の練習日にしています。また、校舎などもそのまま残っているので、チーム(学童野球)で使わない日の再利用もいろいろと考えているところです。
たとえば、幼児の野球教室や、年齢を問わずに体のケアやトレーニングができるジム。学習塾も併設すると、保護者に喜ばれるかもしれません。このように野球だけに限らず、トータルして地元のみなさんと触れ合いたい。
そしてその結果、チームの活動にご支援やご協力をいただけるのが理想。それだけの信頼や仕組みを築ければ、チームの存続を危ぶむこともなくなるはずです。また私にも、後世に残すものができたということになります。そういう意味からも、事業内容に制約のない「一般社団法人」は適していると思います。
強面の下戸の愛妻家
私からご紹介するのは、茨城県の大ベテラン監督。上辺見ファイターズの板橋(勲)さんです。
出会いは岡崎さんのウイングスが主催するローカル大会でした。ウチの試合を見ていた板橋さんから「交流したい」という、非常にありがたいお話をいただいたのが始まりです。
それからは双方で行ったり来たり。ウチが良いときも悪いときも関係なく、板橋さんはいつでも快く試合を受けてくれます。往来を繰り返すなかで、チームの境遇には共通点も多いと感じています。ウチの大月市も、上辺見の古河市も、同じ関東ですが都心部に近くはない。ほぼ県境にある田舎町で、人口も子どもも決して多くないし、選手は地元の子ばかり。
2024年度の高学年チームは6年生と5年生が6人ずつで計12人。すべて地元の子たちだ
そういうなかで、板橋さんは子どもの扱いがとてもうまい。チームカラーはその年によっていろいろですけど、選手たちの能力を存分に引き出している点は変わらない。たとえば去年は、ものすごい打力のチームで、イケイケの野球でスポ少の全国大会に出場されました。
また良い意味で、見た目とのギャップが激しいのが板橋さん。大人でもちょっと怯むくらいの強面なのに、非常にやさしくて懐が深くて大きい。それでいて、アルコールはまったくダメな口で、愛妻家。息子たちが成人した今でも、ご夫婦で山梨に遊びに来られることもあります。
ウチが2度目の全国出場を決めたとき(2021年)。山梨大会で優勝後、いの一番に電話をくださったのが板橋さんでした。SNSが発達した今でも、山梨の大会情報はネットでもなかなか拾えないと思います。でも板橋さんは交友も広いからでしょう、「おめでとう!」と自分のことのように喜んでくれたのが忘れられません。
年末の上辺見交流大会は、茨城県内外の有力チームが多く集まります。これも板橋さんの人徳によるところが大なのだと思います。
ウチは毎年、宿泊込みで参加。新チームの腕試しにもなるし、選手たちも修学旅行のようにワイワイと楽しめる。また、夏の全国大会も宿泊しての連戦になりますから、その予行演習にもなる良い機会をいただいています。
2000年に全国出場されている板橋さんは、「もう一度、全国へ」と熱い思いを継続されています。私も負けないように、3度目の全国出場と、ベスト8以上を目指しています。これを両方達成できたときには、ブログはひと休みをいただくかもしれません。板橋さんにも岡崎さんにも刺激をいただきながら、その日が来ることを信じてがんばります。